Friday, June 3, 2011

現場いろいろ

3人別作業で、いろいろな現場を見てきた形になりました。

作業したお宅に、オーナーさんの代理で来ていた方自身も、毎日避難所で生活している被災した20代の男性。今までの仕事がなくなったので、パートで1日の仕事を探したり、お友達の家の掃除を手伝ったりしているとか。お年寄りだと外に出ることもしないから、じっとしている人も多いのだけれど、周りの人が気にかけながら、話相手になってあげたりして、皆でお互いの世話をしている感じになってるそう。たたみ2畳分くらいのスペースが自分の分で、みんなが生活している。何もすることがない日も多く、体育館にいても仕方ないので、パチンコや、、、と思ったりするけれど、パチンコやだとお金がなくなってしまう可能性が。。。 今までに2度ほどお酒を買ってきて体育館の後ろでお友達とちょっと酒盛りしたとか。それをすごくうれしそうに話す彼を見て、彼らがどうやったら普通のことが普通にできる生活に戻るのだろうと考えてしまった。
これからどうするの?と聞いたら、彼と母親の家は全壊状態なので、家を壊す作業が終われば、一応一段階となるが、それがいつになるのか、、まだわからないそう。それまでは石巻にいるけれど、その後どうするか、他の県にでもいくかもな~と話す彼でした。

アパートの掃除に行って、中に入っている泥、ごみ、そして家具を移動させる。作業自体はそうでもなかったのだけれど、精神的にちょっときつかったなと話す友。そちらのアパートの方が亡くなっていていて、その家族の方と一緒に掃除をしていたらしい。掃除の途中で、写真が出てきて、家族がそれを見ながら一言出てくる言葉を聞いていると、やはりつらいですね。。

家の前にある倉庫の掃除。いろんなものが入っている中、どうも異様なにおいがしていたとか。みんな言わないけれど、いやな予感がしていたらしい。その日で終わらず、次の日「継続」として出かけていった同志であったが、帰ってきて「よかったよ~~~、イカだったの、イカ!!」と喜びの報告。イカの冷凍詰めみたいな袋だったらしい。そうか、そうか、さかながいっぱい出てくるとは聞いていたけれど、イカだったのね~~~。ほんとよかったわ。

1軒1軒、そして一人ひとりの方々に体験したお話があります。

一生懸命そのときのことを話してくださって、大変なことだったんだな、大変な経験されてるんだなあと、聞きながら本当に心痛くなります。そしてそんな中、清掃、復旧作業を続ける人たちをみて「人間って強いなあ」とこの石巻での1週間でひしひしと思いました。

その強さを応援したいから、何かの形で少しづつでも元気を分けてあげられたらと願うのです。

5月26日 肉体労働最終日と

明日東京に帰るので、今日が肉体労働ボランティアの最終日としました。

4日間だけの肉体労働では、なんだか惜しい気がします。名残惜しいです。だから最後もがんばってきます!

いままでの中で一番石巻港に近い地域での作業でした。こちらのお宅は周りの家が9割以上壊滅しているような感じで、ここだけ4軒くらいの家が建っている感じです。もちろん1階は2メートル近い浸水で床をはがして床下の泥かきをしないといけないのですが、この日は、外の庭と側溝の泥かきです。

今日の私のお仕事メンバーは10人。男8人と女2人です。

いろんな方々にお会いできました。今回は、舞台の大道具設定やサンや、写真の照明プロもいました。秋田から毎週通う(土日に自宅で休み、週中に石巻でボランティア)60代のお父さんや、横浜から自転車で10日かけてきた団塊の世代サイクリスト、趣味だといってましたが、すごいとおもいません? またテント前に小松菜のポット植をおいていた神戸からきた女性は、翻訳の仕事をしていらして、週に2日は仙台でホテルに入りお仕事しながら、ボランティアを続けていました。皆さん、ガッツあります!!

お昼休みには、違う場所でボランティアしてきた方が「こちらの石巻はセミプロみたいなボランティアの方が多いですね。驚きました。」と話はじめて、みんなで大笑い。そういわれればそうかも。。。石巻市では他のボランティアセンターと比べて、ヘビーな泥かき、瓦礫除去の作業が主な活動となっているので、それをわかって皆さん来るのか、仕事経験が土木、建築関連が多いのかもしれません。
セミプロか。。。この言葉が頭から離れなくなってしまいました。

そのセミプロ達が側溝の泥をどんどんかいて、土嚢袋につめていきます。
私はというと、庭のごみ堀りをしていました。ここは製紙工場がすぐ近くにあって、そこから流れ出た紙が泥とごみに混じってぐっちゃぐちゃ。その上割れたガラスや陶器もまざって、これが自分の家だったら、ほんと泣きたくなってあたりまえだわ。。。と思いながらの1日でした。

ボランティアに行くとね、そのおうちの方が飲み物を出してくださったりするのです。ボランティアは自分達でお昼と水や飲み物はもっていっているのですが、それを承知で出してくださる。「こんなことしかできなくて本当に申し訳ないです。ありがとうございます。」といわれるほうが申し訳ない。

「こんなことでしかお手伝いできないので、がんばらせていただきます。」と思いながらの毎日でした。

5月25日 本格的に、泥かき一筋。

肉体労働ボランティア3日目。

前日の懸命な「砂利かき」のおかげで、爆睡して気持ちよく起床!身体のほうはというと、ちょっと腰が硬いような気もするけれど、筋肉回復サプリ「スポーツ」のおかげで、ま~ったく 痛みがない!! すごいよ、、、これないとこの一週間結構きつい結果になりそうだったわ。ビタミンや疲労回復サプリもいつものようにたべているので、なんだか好調、好調。

同志、友とも話して3人同意したのが(注意!! この3人が同意にいたるのは本当に珍しい。AB型が2人、O型1人、それぞれが強い意志と意見を持っている。うるさいくらい。) ここに来てテント生活と肉体労働を続けながらも、身体の調子が大変良い。老体に鞭打って、朝起きる、、、という状態から程遠いほど調子がよい。すがすがしい、気持ちのよい朝を毎日迎えている。これはどう考えても、身体のリズムがそうできているとしか考えられない。朝早起きし、肉体労働で身体を動かし、ご飯がおいしい。そして9時くらいには寝る。「早寝、早起き=絶好調!」ということです。

夜遅くまでたらたらコンピューターとかしてちゃいけない、、、ってことですね。いくら仕事といってもほどほどにし、それだったら朝早くおきて、労働時間を動かすように考えないといけないですね。石巻から帰ったら、生活リズム考えなおそうっと。  (ん?あれ、今何時ですか? 夜12時すぎてるよ。。。。)

25日のお仕事は、、、男5人と私の6人グループ。前日と同じお宅で「継続」して庭の瓦礫撤去と泥かきでした。

今回の仕事仲間のご紹介です。
●九州から車で石巻までいらした60過ぎの男性、
●静岡から大学を休学してきて3ヶ月ほどの滞在を予定している男子、
●兵庫県佐用町から来た男性お二人は2年前の洪水被害のときにボランティアにお世話になって助かったから、今回は自分達がボランティアをと石巻いり(このお二人、一人は何でも自分で作ってしまう(機会や建物も)焼き鳥屋さん、もう一人は建築土木関連のプロだったので、まあ仕事が速いこと、、、)
●そして友と私の6人。

庭の低くなっているところにヘドロとごみがたまっている感じ。瓦礫は前日にだいぶ動かしたようでそのおうちの敷地内はきれいになっていました。スコップでがんがん掘っていく泥、ヘドロ。また農協からでも流れ出てきたのでしょうか、飼料や肥料の袋がたくさん流れ着いていてそのにおいもすごいのですが、水が入って重い、重い。私は土嚢袋もち係に徹底しました。

このお宅では2階で今生活しているとか。周りには、壊滅状態の家が多く、この場合はそのまま重機が入って建物を壊すようで瓦礫もごみも手付かずになっているようです。 このような環境で毎日生活するのは、精神的に大変だと思います。毎日この様子を目にするわけですから..... こんなのですよ、、、お隣が。

奥さんとおばあちゃんとで2人で毎日外で片付けをしているのだけれど、2人だと3時間やってもはかどったようにはぜんぜん見えない。だから先が見えなく思えて、どんどんつらくなってくる。そんなときにボランティアが5人、10人と来てくれると1日ですごくきれいになる、進歩した結果が見えて、元気が出てくるそうです。

ボランティアの力は絶対に必要だと思います。住んでいる人だけでは到底できない復興作業だと思います。1日でも、日帰りでもいいから、1人でも多くのボランティアの人が現地入りして支援することを願います。 今できなくても、来月、または夏休みのときでもいい。休みが取れるとき、それがあなたのボランティアができるタイミングだと思います。

本当に長い道のりになる復興作業だと思います。毎月1日または1度でもいい、被災現地のことを考え何かする(募金する?物資を送る?ボランティアに行く?)、行動する。持続してできることは何か、できること一人ひとり考えて長く支援できるようにしましょうよ。

Thursday, June 2, 2011

5月24日 肉体労働、極める。思わず「チオビタ」

朝は毎日5時起きって感じ。外が明るくなるので自然に目が覚める。

チュンチュン鳥がさえずっていたりするので、気持ちよく起きることが多かったです。ただし、中には5時前から「おはようございます!」って起きてる人に声かける人もいて、「うるせ~~、まだ寝てんだよ、こっちは!」と、べらんめいになりかけることも何度か。

6時すぎると朝食とお弁当用のご飯の用意を始めます。まずはコーヒー用のお湯を沸かして、その次にご飯を炊きはじめます。今のテント生活、楽ね~~。カセットコンロでカチッとやればもう何でもできちゃう。

おにぎり作ってます。横は朝食の春雨スープ。

ハイ、ランチのお弁当出来上がり~。自家製パリパリおにぎりよん!

この日、肉体労働、あ、すみません、ボランティア活動でした、、2日目。
またしても別行動にした3人でしたが、いや~私のこの日は、死ぬかと思った1日でした。

先にこの日のことをお知らせしましたが、泥かきなんだけど、やっていることは「砂利だし」作業。土の上に大きな砂利を引いて「暖房作用」があるようにしてあった床下だったので、その砂利の上に泥がのかってしまっているから、砂利も掘り出さないと泥がでない。60代の男性2人と、女2人「ああ、きのう一緒に働いた30代、40代の男がこの日こそ欲しかった。どこだ~、若い男は~~~。」うまくいかないものね、人生って。

最初は10分くらいは楽しくお話しながらの作業も、どんどん静かになり、4人で沈黙、黙々と汗を流しながらの砂利だし作業となりました。土嚢袋に砂利をつめ、これを外に出すのも一苦労。重いんだよ、この土嚢袋がまた! よいっしょ。よいっしょ。 中腰になりながら床下から砂利をすくい、土嚢袋につめる。床梁が細かくかかっていたので、これがまたつらいところで。。。そしてその床梁をつたいながら、砂利をつめた土嚢袋を家の外に出す。これの繰り返しですね。

腰の曲がったおばあちゃんが、曲がったままで歩いているっているのが、よくわかりました。一度曲がったら、固まってしまって、戻すのたいへんなんだ。戻そうとすると、なんだか、ぼきぼき~~~っていいそうで、、、ちょっとづつ、腰を伸ばしてまっすぐにしようとしないといけない。

それでもよくやったと思う。朝9時半にお宅に到着、休憩を取りながらですが、午後の2時ごろにめどがついてきた感じ。2時半には家の方に来ていただいて最終確認。「皆さん、本当にありがとうございました。ボランティアの方々がいて本当に助かります。」と暖かいお言葉をいただいて帰途につきました。

家(あ、、テントね。)に帰る途中で、同志から携帯メール。「今日はキャンパスでボランティア用の炊き出しがあるらしい。九州ラーメンだよ。3時から。」 こうやって、ボランティア同士で情報交換がなされるわけです。帰ってきたらちゃんと九州ラーメンのテントが張ってあって、「どうですか~、食べていってくださいね~」とボランティアの車が通るたびに声をかけてくださっている。あー、おいしそうだわ。

一輪車、スコップ、ほうきなど借りた道具を洗ってきれいにして返却し、すぐ炊き出しラーメンカウンターへ。

作りたてのラーメンは本当においしかった。スープも最高にうまい。とんこつベースの味噌ラーメン「あ~ボランティアやってよかったなあ。」となんだか意味がよくわからないことをくちばしる私。その日一緒に作業したボランティア仲間と「よくがんばったね~」と話しながら青空の下で食べるラーメンは最高!
ちょっとアートな感じの「らーめん」。

その後テントにいたらすぐに同志も帰ってきた。彼女もすぐに九州ラーメンをもらってきてテントの中で食す。その横でわたしは、、、、、思わず「チオビタ」よ。だってさ~つかれてんのよね~。


そして 腰痛、筋肉痛予防と回復のためサプリ「SPORT スポーツ」を8個一気飲み。
これだけ飲めば、明日は一応起きれるだろう。。。

自衛隊風呂、サイコーよ!

もともと銭湯が好きな私である。

東京新宿でアパート暮らしをしていたときには、6畳一間で風呂なしの生活だった。
近くの銭湯に通う日々だった。私がこのアパートに入ったばかりのときは銭湯220円だか240円だったような気がする。それがどんどん値上がりし、あっという間に300円になリ、家計のやりくりに悩んでいたのを覚えている。(今では400円はするはず。お風呂に1日400円はつらいね~~~。たいへんだ。)

銭湯を知らない人、嫌がる人も多いみたいだけれど、これ、温泉がすきだったら大丈夫な人多いと思うんだけれど。

銭湯のよさはなんと言ってもお風呂が大きいこと。脚伸ばしてゆ~っくり入れる。腕も泳ぐようにのばすこともできるし。そして湯加減が最高にいい。やっぱりプロだからだろう。みんなのまで裸になるって言うのは、これも若いときでも3回くらいやれば慣れる。お風呂で知らない人、となりの人と話す、となりの人たちが話しているのが聞こえるっていうのがまた楽しいのよね。

この自衛隊が設置してくれていたお風呂は川のすぐ横にあり、この川から水を汲みあげ、2,3回フィルターを通してきれいにしてそれを暖めているとか。もちろんこの「自衛隊風呂」は町の被災している方々用にいろんなところで設置されているものなのだけれど、この石巻市の大学近くのは、ボランティアも使用できるようにしてくれていて、すごくありがたかった。


建物の中に入るとまず待合室があり、もし人数が多くなって来た時に人数制限するのでその場所が待合室。そしてその次が脱衣場。まったく銭湯と同じで、棚にかごが置いてありその中に衣類を入れて、いざお風呂へ。次がお風呂で、ここには2つの湯ぶねが設置され、その湯ぶねの周りには軽く16人くらいが座れる感じ。これが2つだから1度に30人の人が入浴できるという広さです。

鉄パイプで四角い枠を作り、その上にブルーシートって言うのかな、、(タープとアメリカでは呼んでいる)それの厚いのがかかっていて、その中にお湯をためています。よくできてるんだ、これが。頑丈だし、揺らしてみてもびくともしない。(すみません、ゆらして試してみました。。。。) 床もスノコらしいものにブルーシートをしいてあり、ぬめりもなく清潔な、安心して入れるお風呂になってます。

↓男風呂(クリックして拡大見れます。)                 ↓女風呂入り口
温泉のように新しいお湯が常時流れていて、湯ぶねもキレイ。定期的に自衛隊のお姉さんが回りに来て、湯ぶねチェックや、湯加減チェックをしてくれている。「お湯加減どうですか~~?」と明るい笑顔で話しかける彼女達の姿には、励まされる人が多いはず。

このお風呂は皆さんに無料で提供されています。
今回は、どこに行っても自衛隊の方々の活躍、支援ぶりが聞こえてきますが、本当に自衛隊があっての被災地復興作業だと思いました。このお風呂にしても、自衛隊だからできる規模だと思います。

お風呂につかりながら、ゆかげんチェックしていた自衛隊のお姉さんに聞いたところ、彼女の勤める部署がこれ専門らしく、国内海外いろんなところに行ってお風呂を設置するとか。「自衛隊のお仕事好きですか?」との私の質問に、「はい! 大変やりがいのある仕事で、大好きです。」と満面の笑顔で答えてくれました。

寝る時間を惜しんで働く、強い肉体と精神力を持つ、こういった男性、女性がいま日本を支えているんだなあと、彼らの姿やジープをみながら感動してました。本当にありがたい自衛隊の働きだと思います。 がんばれ~~~、自衛隊 !!

5月23日 さぁ、肉体労働の始まりさ~~

最初の2日間、皆さんからご協力いただいたたタオル、寝具、衣服類、そして支援金で購入したものを届けたわけですが、さあ、今日からは肉体労働のはじまりでーっす。

石巻市ボランティアセンターは、いくつもあるボランティアセンターでもなかなかうまく回っているところらしいです。ボランティアが来やすい、滞在しやすいことは確かで、これ、石巻専修大学の協力あってのことで、本当にありがたいと思いました。

●テントが張れる
●簡易トイレが用意されている
●テント(キャンパスグラウンド)近くの河川敷に車を停められる(社中泊も可)
●テント村近くの教室の前にボランティアカウンターが設置されている
●携帯の充電コンセントステーションもある
●ボランティア用の貸し自転車も6台ある

宮城県全てに設置されたボランティアセンターを網羅しているウエブページ 
http://msv3151.c-bosai.jp/ ボランティアとして知っておきたい情報がここで見れます。

私達が行った石巻市ボランティアセンターのページ 
http://msv3151.c-bosai.jp/group.php?gid=10163 石巻市の活動に関する情報がみれます。


まずボランティアに来た時点で登録をします。そして、毎朝8時半からその日の活動受付が始まリ、参加する人が集まってきます。個人一人で参加している人、または団体で来ている人、さまざまです。

どんな姿で仕事をしてたかって??? ボランティアの服装はこんな感じです。ボランティアセンターの受付に張ってあった紙ですが、私達、まさにこのとおりの格好をしていました。みんなこんなだから、気にもならないのだけれど、ここで会った人たちにボランティア以外のところで会ったとしてもぜーったいにわからないと思う。ははは。
 長靴、粉塵マスク、カッパ、皮手袋・軍手、ゴーグルこれらはボランティア各自持参です。

私も同志も長靴は、安全靴を用意しました。 足先に鉄が入っていて物が落ちてきても指を守るってヤツです。だってさ~、手が滑って何か落とす、、、っていう可能性ありますからねえ。

この長靴は大阪の長靴やさんから購入。ここ、同志がインターネットで探してオーダーしたら、ご主人自身も作業服や長靴を被災地に寄付しているという方だったということで何かと親切にしていただいて助かりました。私もこちらから長靴を購入。被災地に行くということから、サービスで、粉塵マスク、ゴーグルまで入れていただいて感激! 宮城に行く前に、ご主人から同士に連絡があり、もし私達がいくところで作業着など使ってもらえるところがあるようならすぐに送るからとまで言ってくださって、本当に感謝しています。 
http://www.nagagutsu-family.jp/item/safety/000044.html 私の買った長靴です。プロっぽいでしょう?
http://www.work-family.jp/115-1.html 次に行くときにはまたこちらで、作業着のこれ、「つなぎ」をゲットしようと思っています。どんどん泥かきにはまっていく自分が怖いかも。

上の絵のような格好をして、受付前に集まります。車ありと車なしのグループに分かれて、仕事を待つのですが、いわゆる日雇い人夫みたいな雇い方ですね。「車なしの方~~2人きてくださ~い」と聞こえれば「はいっ!!」と手を上げて(私と同志だけだけがやっていたような。。。)、ついていくわけです。早くしないと仕事に就けない、、って感じもしましたが、仕事はいくつもあるのでその点大丈夫ですけど。車ありのほうは、その車に道具か人を乗せて現場に行きます。

大体5人から10人のグループで1軒のお宅に行きます。床下の泥かきか、庭の瓦礫掃除、泥かき、これがメインの仕事です。

前にもお知らせしましたが、いろんな仕事やリーダーシップを習おうと、かしまし3人別行動で動くことにしました。いつ何時も、勉強熱心なかしましメンバーです。

私の初日は大変簡単なお仕事でした。男30代から50代くらいの男性9人に私が1人。合計してそうですね、25帖ほどの床下の泥かきとなったわけですが、男性がたくさんいたので、あっという間に仕事が終わってしまいました。午前中で大体が終わり、お昼ご飯を食べて後片付けしておしまい。

「いいのかな、こんなに楽な仕事で。」と思いながら帰途に着いた私でしたが、この反動(?)が翌日来るとは。。。  私がテント村についたのは3時過ぎだったかな。

ボランティアセンターのカウンター前にボランティア用に寄付された物資倉庫があります。
この日はカップラーメンの差し入れがありました。ありがたいです。

同志と友が4時ころに帰ってきて、インターネットアクセスを探しに町に出るが、マックでうまくつながらなく断念。友が外で探してくれたソフトバンクのお店の前で駐車しながら、1時間200円のインターネットアクセスでメールダウンロードとブログを1つアップ。

それからテントに戻って夕飯の支度。この日は何食べたんだったかな。スパゲッティだったような気がする。。。。袋に入った簡単スパゲッティソース、おいしいね~~~。スパゲッティをゆでて、それにこのソースを混ぜるだけ。まあ、簡単、そしておいしい!! 明太子やたらこ、この日は「和風きのこのソース」が一番いけてたな。 その上に刻み(いや、、ちぎり)海苔をぱらぱらかけて、贅沢和風スパゲッティの出来上がりです。

夜はこんな感じ。仕事話をしながら、9時近くには就寝していたような。

さあ、明日もがんばるで~~。

Wednesday, June 1, 2011

5月22日 縁あって出会った人たち ②


お寺を後にして、すぐに南三陸町にむかうことに。お寺は登米市にあり、石巻市から北に走り20分くらい。そこから今度は東に入っていくと南三陸町があります。ここもリアス式海岸の入り江に広がる町。雄勝町で見たのと同じように海岸、湾に近くなるにつれ津波の被害の大きさが目の当りになってきて。。。。。ここは雄勝で見たよりぜんぜん大きな町の感じで、湾のほうから川に沿って水が上がってきたように、被害の広さにまた絶句。。。

いまや建物のセメントの基礎と瓦礫が残っているだけ。一つ、二つと残った、箱みたいに見える崩れた建物が寂しさを増してます。。。



この南三陸の町は雄勝より大きく、津波前は観光でも栄えていたような感じがすごくしました。初めて立ち寄った町で、被害後でしかこの町を知らないっていうのは本当に寂しいですですね。。。。



ここ南三陸には、皆さんもご存知の「かね久」海産物やさんがあり、このかね久さんを訪ねて、再度昆布や海苔を購入する目的もあったのです。

「かね久」さんを知ったのも支援関係の情報からの縁。花パンで支援をしてくださった仲間の方のご家族が、支援活動中のバス移動の際に偶然なりに乗り合わせて、彼らの倉庫での被災生活のたいへんさをきき、そして倉庫にある商品の販売のお手伝いをしようとメールで呼びかけが入ってきたのがきっかけ。その後、石巻入りしていた友が食品などの物資を届けたりとご縁が続。最初に東京の妹に送った海苔、わかめが「やっぱりわかめは三陸産よね~、すごくおいしい」と大いに気に入ってくれたので、もう少し持って帰ってくるつもりこようと思ったわけです。同志もお友達に持って行くお土産にと考えてました。

急な訪問になってしまったのだけれど、「かね久」さんは快く私達をむかえてくださり、おいしくコーヒーとお茶菓子をいただきながらお話できました。町にあったお店のお隣で蕎麦屋さんをされていた方もおいでになっていたので、津波のとき皆さんの様子や、今どんな生活をされているかいろいろとお話をききました。

「地震の後、津波が来るだろうとすぐに避難をしたが、そのときは、お店や家2階までは波、水もこないだろうと皆さん1階にあった大事なもの、キャッシュレジスターや台帳などを2階に投げて出てきた。浸水はするだろうけれど、またすぐに家にお店に戻れると思っての避難だった」とか。それが全てを流してしまった。。。。
お蕎麦屋さんも「車3台で高台に、でもあっという間にちょっと下に停めていた2台が水に飲まれて流されてね。。。」と。 お話聞きながら「大変なこと、、、」という言葉では到底いいあらわせきれない体験をされてきてるんだなあと感じて、正直なんだかいたたまれなくなってしまいました。


現状として、支援物資の行き先、管理などにいろいろ問題があって、もちろん完璧なことなど何もないけれど、あれそれ問題が多いようです。行政もいろんなこと考えないといけないのはよくわかるけれど、どうやって被災生活をおくる方々を平等に支援できるかを優先的に考えていくようにして欲しいと心から願う今日この頃。