Wednesday, June 1, 2011

5月22日 縁あって出会った人たち ②


お寺を後にして、すぐに南三陸町にむかうことに。お寺は登米市にあり、石巻市から北に走り20分くらい。そこから今度は東に入っていくと南三陸町があります。ここもリアス式海岸の入り江に広がる町。雄勝町で見たのと同じように海岸、湾に近くなるにつれ津波の被害の大きさが目の当りになってきて。。。。。ここは雄勝で見たよりぜんぜん大きな町の感じで、湾のほうから川に沿って水が上がってきたように、被害の広さにまた絶句。。。

いまや建物のセメントの基礎と瓦礫が残っているだけ。一つ、二つと残った、箱みたいに見える崩れた建物が寂しさを増してます。。。



この南三陸の町は雄勝より大きく、津波前は観光でも栄えていたような感じがすごくしました。初めて立ち寄った町で、被害後でしかこの町を知らないっていうのは本当に寂しいですですね。。。。



ここ南三陸には、皆さんもご存知の「かね久」海産物やさんがあり、このかね久さんを訪ねて、再度昆布や海苔を購入する目的もあったのです。

「かね久」さんを知ったのも支援関係の情報からの縁。花パンで支援をしてくださった仲間の方のご家族が、支援活動中のバス移動の際に偶然なりに乗り合わせて、彼らの倉庫での被災生活のたいへんさをきき、そして倉庫にある商品の販売のお手伝いをしようとメールで呼びかけが入ってきたのがきっかけ。その後、石巻入りしていた友が食品などの物資を届けたりとご縁が続。最初に東京の妹に送った海苔、わかめが「やっぱりわかめは三陸産よね~、すごくおいしい」と大いに気に入ってくれたので、もう少し持って帰ってくるつもりこようと思ったわけです。同志もお友達に持って行くお土産にと考えてました。

急な訪問になってしまったのだけれど、「かね久」さんは快く私達をむかえてくださり、おいしくコーヒーとお茶菓子をいただきながらお話できました。町にあったお店のお隣で蕎麦屋さんをされていた方もおいでになっていたので、津波のとき皆さんの様子や、今どんな生活をされているかいろいろとお話をききました。

「地震の後、津波が来るだろうとすぐに避難をしたが、そのときは、お店や家2階までは波、水もこないだろうと皆さん1階にあった大事なもの、キャッシュレジスターや台帳などを2階に投げて出てきた。浸水はするだろうけれど、またすぐに家にお店に戻れると思っての避難だった」とか。それが全てを流してしまった。。。。
お蕎麦屋さんも「車3台で高台に、でもあっという間にちょっと下に停めていた2台が水に飲まれて流されてね。。。」と。 お話聞きながら「大変なこと、、、」という言葉では到底いいあらわせきれない体験をされてきてるんだなあと感じて、正直なんだかいたたまれなくなってしまいました。


現状として、支援物資の行き先、管理などにいろいろ問題があって、もちろん完璧なことなど何もないけれど、あれそれ問題が多いようです。行政もいろんなこと考えないといけないのはよくわかるけれど、どうやって被災生活をおくる方々を平等に支援できるかを優先的に考えていくようにして欲しいと心から願う今日この頃。


No comments:

Post a Comment