Sunday, July 17, 2011

ボブキャットとの会話

昨日ボブキャットと面と向かって1対1で会話した。 
ボブキャットと目が合ったのは初めてだった。(ボブキャットを知らない方は、ここをクリック。http://animals.nationalgeographic.com/animals/mammals/bobcat/ カッコいいでしょうが~)

なぜ昨日おみせした私のオフィスの図になったかと言うと、、、、、まっぴるまに襲撃事件発生! 
私のニワトリ1羽が襲われた。ああ、まただよ。。うー、くやしい。

うちのニワトリは通常昼間は小屋の外で過ごすのだけれど、1ヶ月前ほどにも襲撃事件があり、最近は小屋の中で1日を過ごす日も多かった。 ニワトリ飼い始めて10年にはなるのだけれど、仕方のないことなんだけれどその間何羽か襲われている。相手はいつもボブキャットか鷹なんだな。。コヨーテではないと思う。

山の中っぽいところで生活し、特に動物が周辺にいると、やはり自然の中で人間だけではないこと、全てのコントロールができないことを感じる出来事がおこる。そのひとつが、ニワトリ襲撃。

昨日は私が1日家にいるので、いい天気のときに外に出してあげようとおもい、朝外に出してあげた。 "Be alert, girls !! Defend yourself if necessary. " と彼女達に念を押して放したのだが、まさかこの日に来るとは。。ニワトリ小屋は私の机からまん前に見える。このとおり。だから結構安心していたんだな。。。。


しずかなゆったりと時間の流れる午後、その3時過ぎ、まさに、ニワトリ語で「ギャ~~グワ~~」と言うような「クワ~~クワ~~ッ」大騒ぎが聞こえ、バサバサバサ~~とまたすごい音。あわてて、靴も履かずにベランダから階段を下りてこの小屋まで走って皆を確認。「ギャ~クワ~~」とまだ大騒ぎしている。カサカサと枯れ葉の音がするのであがっていったら、ボブキャットがニワトリくわえてフェンスを飛び越えようとしていたところだった。

私の出現に驚き、ニワトリはなしてフェンスを飛び越えたボブキャットだったが、なんと、すぐに逃げない。フェンスの向こうでじーっと私を見てる。私は私で、すぐにニワトリを抱えたが、残念だけれど、彼女(にわとりね)には私が走ってきても手遅れだった。さすがボブキャット、一発で彼女をしとめたみたいだった。

ほんとに逃げないボブキャット。すぐそこ、フェンス。私とボブキャットの間には1メートルもないんだから。そんなでフェンス越しで横座りする(余裕なのか、、、)ボブキャットと、やられたニワトリを抱えて立っている私と、お互い目を合わせたまま。じっとしている。

10分近くそのまま目を合わせていた。いろいろ考えた。

私はもともとボブキャットが好きで、もし人間に「なれてくれれば」また1つ楽しい生活ができるだろうなと思っている。 他の自然の動物と同様、最近あまり見かけなくなったので、住む場所が狭まってきたのか、数が少なくなってきたのか、と心配さえしている。

こんな田舎に住むと、全てが自然の成り行きで、自然界の命の流れ(生きるという過程でどの動物が何を食べるかっていうこと)を感じることが多い。「かわいそう、、、とかっていう問題じゃあないな、生きていかないといけないんだもんな。」という感じでね。

一瞬で死んでしまったニワトリを抱えながら、自然ということを考えれば、ボブキャットがそのまま持っていったほうが無駄がなかったのか。。。もう少し遅く出てきていれば、ボブキャットはニワトリを持ってフェンスを越えていけたんだよなあ。。とか、なんだか矛盾にちかい思いで、葛藤。

待っているかのように、じっと座って私を見ているボブキャット。
このボブキャットを見ながら頭をよぎったことは、、、、、「おなか空いてるんだろうなあ。自然界の中で、これってどういうことなんだろうか、捕まえた獲物を横取りされたって感じかな。でも私食べないからな。死を無駄にしてはいけないような気もする、、、これまた渡すってことあり? いやいや、ここで渡してしまっては、悪い教育をして勘違いをさせてしまうんだ。だめだわ。。。 」 

どうしてこんなこと考えてるんだろうと思うような、複雑な気持ち、、、矛盾だよね。
一瞬で獲物を捕らえ殺す業に、「さすが」と思う気持ちと、自然のなかでその死を無駄にしてしまったように思えてしまったと言うのかな。。ボブキャットにしてみれば夕食準備だったわけで。
あまりにもじーっと私の顔見てるもんで、ついつい話しかけてしまったよ、ボブキャットに。

「うちじゃだめだよ、ハンティング。他でやってちょうだい。うちのニワトリはだめだよ。」 「おなか空いてるんだと思うけど、これはあげられない。この子はうちの子だから、だめさ。外でウサギでも捕まえなさい。 」 「いくら死んでしまったとはいえ、食べ物としてあげることはできないんだよ。私のペットだし。」

じーっと私の目を見たまま、話聞いていたボブキャット。私のほうから「もう他の子たちも小屋に入れるからね、絶対うちでの狩はやめてよね。」と言って別れた。

もちろん、私が思ったことというのは、ニワトリが死んでしまったから思うことなんだけどね。これが傷で終わっていれば手当てをして「あー、よかった。助かったね~。がんばれよー。」っていうことになるんだけど、そうでなかったから、 一瞬なんだか彼女の死を無駄にしたような気がしてしまったんだな。襲撃阻止できなかった事に対する言い訳なのかと、自問。

自答は、、、うーん、わからん。。

2 comments:

  1. いやいやいや。これはかなり複雑な思いですね・・・思わず思い出したのが「AVATAR」の中の狩のシーン。自然界は 海も山も弱肉強食で 常に強いものが弱いものを制し 弱く見えているものも それよりも更に弱いものを制して生きている。でも人間世界とは違って 動物の世界には確かに「死」に無駄はない。そう考えると今回のこのシーンは実に「重み」があるなぁ・・・脳を持ってして良し悪しを考える人間と 本能で仕留めた獲物を「相手」が手放すのをじっと待つ自然界の動物・・・その「対峙」はコミュニケーションが取れているのかいないのか・・・なぞだ。

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  2. ボブキャット、初めて知り思わず”カッコいいじゃん!”
    子供のころの事件を思い出した。父が飼っていたいた鶏がいたちに持って行かれ、近所の犬に殺され、そのたびに泣きながら土を掘って埋めたこと。私が遊びに行く時も、おつかいに行く時も必ずついてきてたのに・・・って。
    自然界の動物の営みと人間の都合とホント複雑な心境だったんだろうな。私たちの周りではなくなってしまった場面がそこにはあったんだね~

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