Sunday, May 29, 2011

報告:石巻入り初日 5月21日④ 雄勝町荒地区

壊滅状態の点々とする町を通りながら、その地区をサポートする社協事務所を見つけて支援の状況を聞くことができました。社協の方自身も当日雄勝町区役所で勤めていて、建物の3階も浸水し始め、屋上に昇って助かったという方でした。

雄勝町の被災の方々の多くは、すでに避難所から違う場所や県外に移ったりしているそうで、残っている方もだいぶ少ないようなお話でした。ただ、津波の被害にあわなかった町もあり、自宅が無事で生活している方々に、水の供給や食物の支援が主な活動になっているとか。石巻市に近めの町ではまだ買い物に行こうと思えば車で出てくることもできるが、もう少し上のほうの大須地区や荒地区というのが大変不便な状況になっていて、特に荒地区は、自宅で被災生活している方々が27軒ほどで公民館のような憩いの家でお互いのサポートをしていると聞き、この荒地区を回ってみることにしました。

大須を過ぎて荒にはいるのですが、大須地区は高台で津波はもちろん地震の被害もまったく見られず驚きました。同じ雄勝町とはいえ、被害の差が激しいです。この大須の先に荒地区があります。

ゆっくり車を走らせ、憩いの家を探します。縁側の窓ドアが大きく開いていたところでちょっと聞いてみようかと車を止めたら、なんとそこが『憩いの家』でした。数人の女性がエプロンをして台所仕事をしていらして、27軒(約80人)の食事の用意をしているとのことでした。こちらでは自衛隊から水、食料の物資が運ばれるとのことですが、やはり最低限的な物資しか届かないようで、野菜はほとんどこない。なので、私達が持って言った野菜は特に喜ばれました。

「そういえば、、、お菓子なんかは届きますか?」 「いえ、お菓子はまったく入ってきません。」 「クッキー、お煎餅ももって来ましたが、どうですか?」 「うわ~~、うれしい。すごい、すごい! 盆と正月が一緒に来たみたいだ。」

お菓子はやっぱり必要ですねぇ!  野菜より先に「お菓子、お菓子、、」と探していた甲斐がありました。ふっふっふ。 皆さんが送ってくださった、タオルや、リサイクルには見えないくらいきれいなお洋服も大変喜んでいただきました。洋服がいっぱい入った箱を囲んでお姉さん達がうれしいそうに笑う顔がすごく印象的でした。
 
 それぞれの家に屋号があり、それで炊事当番表ができています。
面白い記号(象形文字みたい)を使った屋号でそれを見せていただきました。


荒では、4軒が津波で家が流され、また仕事場の倉庫棟が全て津波で流されたそうです。男衆の仕事は漁関係なので、この津波で何千万円もかかっていた網などが全て無くなり、収入源が絶たれ、そして女衆ものほうも雄勝町でパートにでていた方が多く、これも町が壊滅で仕事がなくなってしまっている現状だそうです。「買い物に出れたとしても、買えないんです。。。」とおっしゃる言葉が、本当につらい現実なのですね。お話しのなかで笑顔も見えるのですが、やはり現実は先が見えない不安でいっぱいだと思います。このような方々が本当に多いのだと思います。どうすることで、こういった方々のサポートができるのだろうか、考えさせられました。

この荒地区は、「荒浜海水浴場」があり、リアス式海岸独特な美しい景観の中の海水浴場で小さな貝を秘めた白砂と遠浅の浜で、若人から家族連れまで楽しめる、隠れたリゾートビーチとして有名で、仙台や東北からたくさんの人が海水浴に来ていたそうです。

石巻にいる間に、もう1度食べ物などの差し入れ物資を持ってくると約束して荒を後にしました。
荒のお姉さん達と一緒に。

報告:石巻入り初日 5月21日③ 雄勝町の被害状況

雄勝町に入り、もう言葉を失いました。。。。友は前回雄勝入りしているので、そのときに比べればまだ片付いていると話していましたが、今回初めて現場を見る4人はもうどう表現していいのかわからず。。。

石巻市でテントを張ったキャンパスの近くには市内から集めたとおもわれる瓦礫の山があり、そこには想像を絶する数の冷蔵庫だけを集めた山があり、それを見ながらすごい被害だったのだなあとは思いましたが、実際に街中の被害は見ていませんでした。雄勝町はニュースでは「町は壊滅状態」と報道していて、この『壊滅』という普通使わない言葉を聞いたときにはなんだか怖いなあと思っていました。現地入りして、その怖さがあたっていたんだと痛感しましたね。。

海沿いに町があったと思われ、セメントでの家の基礎があるのですが、その上には何もない、車を止めれば、360度何も立っていない状態。周りは瓦礫と、つぶれた車が散乱しています。皆さんもみた事あると思いますが、建物の上に大型のマイクロバスがのリあげています。




 テレビやインターネットで見慣れていた現場の絵だったはずですが、実際に現場で見るものは、その360度見える迫力、雰囲気、空気、匂い、そして不自然な人のいなさが加わり、まったく違う悲惨さを感じました。

これを毎日見ながら生きる、生活するというのは、心に大きな影響がないはずないです。被災されている皆さんの大変さを再度認識させられました。

報告:石巻入り初日 5月21日② 雄勝町へ支援物資配達

宿泊場所が設定され、コーヒーを入れて少しブレイク。さて今日の活動計画を練ります。

多くの人達からの協力で集まった支援物資、車1台で入りきらなく2台パンパンにつめてきました水、バスタオル、タオルケット、寝具、下着、タンクトップ、きれいなリサイクル衣服 が全部で30箱近くです。

今日は第1目的の「雄勝町」に支援物資をいただいた中から半分持っていきます。この地区では町が壊滅状態で、避難所または自宅で被災生活されている方々がいます。いまだに水道が復活していない場所もあります。支援物資の配達もあるのですが、場所が離れていたり道路状況がよくなく、頻繁には物資が届いていないところでした。ですので、私達が雄勝町に直接出向き、物資を届けることにしたわけです。水も足りない、野菜はないに等しい、食料もまだまだ不足状況だそうです。

石巻市ボランティアセンターにあるピースボート倉庫では、自宅での被災生活の方々用に支援物資を集め管理してあり、そちらからもらえる物資もあります。

早速そのピースボートの倉庫に行き、その日にある物資を見に行きました。
あ~~! ラッキーにも野菜を見つけました。ピーマン、にんじん、きゅうり、きゃべつを1箱づつもらうことができました。 そしてクッキー、お煎餅、あめ、ソイジョイ、ニシンの昆布巻き、 そして10箱ほどの水とお茶も手に入りました。みんな総出で車につめます。

 

このあとすぐに雄勝町へ向けて出発。

石巻市から雄勝町へは大体1時間。雄勝町にも転々と小さな避難所があるとのことなので、まずは自宅被災者をサポートする社協(社会福祉法人全国社会福祉協議会 http://www.shakyo.or.jp/ )によって話を聞くことにしました。

報告:石巻入り初日 5月21日① 宿泊地確保


21日初日、朝3時に東京発、5時に宇都宮で落ち合い、石巻市に到着したのが9時すぎ。すぐに宿泊地にはいる。宿泊地といっても、そこは石巻専修大学のキャンパスのグラウンド・特別ボランティア用テント設置場。いえ~い、アウトドア生活(えっ?浮浪者生活?)の始まり~!

すでに色とりどりのテントが点々とする校庭を見まわしながら、私達のテント場をみさだめる。3回目となる経験者のテント先輩の友が、ここがいいと指定。みんなで車から自分の荷物とギアをおろし、テント張りを始める。今回は同志が唯一のテント未経験者で、彼女の「どきどき・わくわく・不安」が入り混じる顔がなんともみていておもしろい。どうなることか。

ゴールデンウィークに比べてテント数はもちろん減っているとは聞くが、それでも私にしてみれば結構の数、100はあったと思います。のテントが並んでいて、それもいろんな色や大きさがあるので、まるでテントの品評会。テント買おうかなあと思っている人には大変良いリサーチ場所だとおもう。




テントボランティア経験者の友がいたおかげで2つのテントもあっという間にセットアップ完了。と言っても今のテント、すご~く簡単に張れてしまうのだわ。。。まるでポップアップ式。骨組みも簡単に伸ばせばいいだけ、テントも骨組みに引っ掛ければいいだけ。うそみたいにカ~ンタンなんですわぁ。

あの苦労しながらテント張りの練習をした覚えがあるガールスカウト時代がなんだか懐かしい。テントも大きく進化したんですね~。何でも進化する、簡単になるのはうれしいことで便利ですが、それでもなんだか難しい時代が懐かしかったりもします。

こんなふうに思うのは、ただ、ババくさくなってきたということでしょうか??!

Wednesday, May 25, 2011

今日5月25日、いままでの活動

えっ!もう25日???? 初日21日石巻入りしてからすでに5日も経ってるんだ~~。。

石巻専修大学とはいえ、テント場(正式には陸上トラックなんだけど、、、)での生活ではインターネットがつながらなく、ブログ書いていないとなんだかどれだけ日が経っているかもわからない。月曜日から現場に行き「肉体労働」を重ねていると、大変健康的な生活であるが、バッタンキュ~~の毎日でもあるので、なんだか、1日が早い。

毎日の様子を写真と一緒にお知らせしたいのだけれど、写真もうまく私のコンピューターにダウンロードできていないので、今日は、日時が前後するのですが、写真のあるほうから活動の様子をお知らせしようかな。

21日(土)は雄勝町荒(あら)地区へ、そして22日(日)は登米市にある柳津虚空蔵尊に寄り支援物資を届けてきました。すごく喜んでいただきましたよ~~~。(この様子は後日アップします。) 柳津虚空蔵尊のお寺さんのブログに皆さんからの支援物資のことがかかれていますので、ぜひみてくださいね。
http://kokuzouson.jugem.jp/?day=20110522


23日の月曜日からは3人で、泥かきボランティアを始めました。
3人一緒に行動するのが普通なのでしょうが、ここが普通でないかしまし軍団!
ボランティアでは5人から10人くらいのグループで、依頼のあった個人宅に伺い、そちらで泥かき、瓦礫移しをその日1日するのですが、各グループでリーダーさんを決めてその方の指示に従い動くとか。その活動の仕方を勉強するのに、石巻ボランティアバージン2人がいるのでその活動方法、リーダー術を勉強するため、3人別々に動くことを友が提案。「それがいい、それがいい!」と大賛同で3人分かれてボランティア行動が開始です。

いや~~~、3人3色。毎日「今日はどこだった、どうだった」と行き場所が違うと、その地域の被害の様子も違い、いろんな話が聞こえてきて毎晩お互いの報告に花が咲きます。もちろんボランティア友達も3倍の速さで増えていくので、まあこれも大きなプラスですね。

私のほうは23日月曜日は大変楽なお仕事で、正味2時間もない泥だしだったのですが、24日火曜日はま~~~大変。半分死ぬかと思ったよ。。。。。
「床下の泥だし」と書いてあるのですが、もちろん泥だしではあるのだけれど、大きなじゃりがしいてある床下だったので、実際は「泥、ヘドロつきのじゃりだし作業」となったわけです。何度も石巻と埼玉を行き来している方が、「今日はいままで一番大変な作業になるとおもうなあ。。。」との一言で、覚悟を決めた私でしたが、いやいや、、、60代の男性2人、30代、40代の女性1人づつの4人には「どこだ~~~20代、30代の働き盛りの男は~~~?!」と叫びたくなるような作業でした。最初はお話しながらの作業も、どんどん沈黙になり、黙々と砂利をほる4人。「これ、今日はおわらんだろうなーー。」と思いながらも、続けるなか、1時間ごとの10分の休憩がまちどおしい。
お昼が終わり、2時ころの休憩時にはもう「腰が、、、腰が固まってうごかないよ。」という感じでした。
皆さん同じなんだろうけれど、文句は出ず「もうちょっとがんばろうね」とお互い声をかけながらの作業でした。砂利の様子はこんな感じ。



この日、私が一緒にお仕事したのは、偶然私の出身地の富山県から方がいたり、また茅ヶ崎から1人でバスで7日目のけい子ちゃん(通訳の仕事をしてるとか)、そして埼玉からいらしてすでに何度も石まき入りして泥だしボランティアをしている田中さんでした。皆さんご苦労様でした。

この日の自衛隊風呂は最高でした。あ、、そうそう。ここ石巻市では自衛隊がお風呂を被災生活されている方々に提供していて、私達のいるところではボランティアにも開放してくださっています。
この自衛隊風呂がね~~、湯加減がサイコーなんだわ。野外銭湯とでもいう感じ。こちらはおんな風呂ぶろ。反対側におとこ風呂があります。
 ごめんなさい、写真が縦にできない。。。。感じだけでもわかって欲しい。

25日の今日のところは町が海に近くて瓦礫がまだまだ残っている大変なところでした。
こういった中で生活されている方々をおもうと胸が痛いです。ボランティアに「お手伝いさせてしまって申し訳ないです。」とおっしゃるかたがおおくてね。こんなの自分のお家のひとででなんてできないですよ~。お手伝いがいないといくらやっても終わらない。大変としか言いようがない状態です。
今日行ったお宅のすぐお隣が、こうです。。。。。においもするし、ああ、もっとボランティアの人数が増えるよう何か宣伝しないと。。。

Sunday, May 22, 2011

かしまし4人とおとこ1人のキャラバン、宮城入り。

5人での石巻でのキャラバンは楽しかったよ~。
「旅は道ずれ。。。」とよく言ったもの。その上「かしまし」であればなおさら。
おんな4人におとこ1人、ちょっと押されぎみの彼だけれど、おんなに囲まれまんざらでもなさそう(?!)。あはは。

それにしても、宇都宮から片道3時間を日帰りすると出発10時間前に決めてくれたフットワークの軽さと、その肝っ玉ぶりにはさすがの私も目がはとぽっぽ。「ほんとに??! いいの?!」
「3時間くらいの運転、だいじょうぶさ。2人いるもん。」 
私自身がよく言う言葉でもあるが、聞く身でいるとやはり違う。
いや~~~ほんとにありがたくて涙がでそうだったよ。

ぱっつんぱっつんに詰まった2台の車です。

そのうえこの日は雄勝地区の先端まで一緒に行き、1日中の運びや運転作業を同行してくれた。いやいや、かしましのパワーはすごいね。

タオルケットーやシーツ、洋服などの物資を送ってくれた皆さん、支援金を送ってくださった皆さん、応援してくれている皆さん、本当にありがとう。
この感謝の気持ちは言葉だけでは言い足りない。心から感謝しています。

Friday, May 20, 2011

OMG !! 大変なことになってるぅ~~~.

またです。再度、うもり始めました、、、、「ああ、すごいことになっているぅぅう」

かしまし支所数箇所で、タオルケット、シーツ、下着、リサイクル服などで畳が、床が、見えない!


皆さんのご協力、本当にありがとうございます。心から感謝しています。
これこそうれしい悲鳴です。


朝から、石巻市に一緒に入る同志が「たくさんの人から、タオルとかがとどいているよ~~。もう1人のおうちにもたまっているらしい。午後にそれ全部あわせるから、それからどれ持っていけるか、配達するか決めようかね。」と電話あり。
そう、キャンプギアだけでもかさばっていて、その上に車にどれだけ物資がつめられるのか、それが一番問題。だから至急で持ち込みするものと、宅急便とに分けようと決める。

夕方になり、また同志から連絡。「あなた、、、この量はすごいよ。うちにあるもの入れなくて、ミニバンいっぱいの物資でいま友達がきた。これ、、送ってる場合でないよ。行ったほうが早いよ。」
「行くって言ったってあなた、、2台目出すってか?」
「ウン、、、、でも私のクラウンではぜったいに入りきらない。。。」
「じゃあ残り送る?」
「それでもすごい数。。。」
「ちょっと考えよう。」

5分後。。。。。
「決まった、決まった!! 2台目、このミニバンそのままいくよ~~~。友達が2人で日帰りできるって! 2台つながって石巻入りさ~~。」
「うっそ~~。やった。やった。 イェ~ス!」

ということで、3人プラス急遽2人の5人で、明日朝石巻市入りとなりました。
たのしみだーーい。
Pictures tell all....







Saturday, May 14, 2011

Home, Sweet Home.....@石巻専修大学キャンパス

初日に雄勝町地域を回った後、毎日石巻市周辺で泥かき、清掃作業に従事しているという友。

2、3日目は海岸線すぐにあった農協の目の前の地区のおうちの清掃だったらしい。
前にも話してくれていたが、そこの当たりは農協から流れ出た、お米、肥料、そして泥が入れ混じり大変なことになっているらしい。においも大変。。。水分を含みそして気温が上がれば、、、、いいことないですね。。。。

そんな中で生活する方々の大変さ、そしてまたお手伝いに入りもくもくと泥かき清掃の作業をするボランティアのみなさん、本当にご苦労様です。

そんな1日を終えた後、みなが帰ってくる家。自衛隊のお風呂にもいけるって行ってたけれど、ほんとゆっくり休んで次の日にそなえてもらいたい。

 Home, Sweet Home......@専修大学キャンパス ボランティア合宿テント場
ボランティアは、テント、水、食べ物持参です。ごみも持って帰ります。



夕飯のカレーだそうです。

 朝食は「牛たま丼」とコーヒーとか。

なんかちょっとキャンプ感覚で結構エンジョイできるかも。。。。と写真を見ながら不謹慎なことを思ってしまいました。。(ちょっと贅沢しているホームレスみたい、、と思ったのは私だけ?)

夜冷え込む日がまだまだあるそうな。 
十分身体には気をつけてがんばってくれ~。もうすぐ参加するでよ~~~ 。
I will join you soon.

2度目の石巻入りした友から報告。 

友が再度石巻入りしている。
5月10日から出て行っていったとおもったな。16日月曜日に東京に戻ると話していた。

初日には出発でおくれて(それでも5時半とか、、)、高速には少し遅く乗る羽目になって悔しがっていた。その理由は高速料金。日本では高速代金、時間割引があるんだってね~~~。おもしろい。
電気代も夜には割引になるようになって、夜電気をためる暖房機や方法があるとか、夜洗濯するとかって聞き、へぇ~~と思ったものだ。

ちなみに、アメリカ、高速、、、タダです。ご存知Freeway とは、よく言った。みんなスピードが速くて、スピードフリー(制限なし)みたいなもんだから、そう名がついているのかと思ったりしていたが、お金はフリー。サンフランシスコのゴールデンブリッジみたいな橋渡るときの橋越え代(?!)、または特別な区間で有料車線があったりたりし増すが、基本的には無料で高速つっぱしれます。

このすでに10数年のアメリ感覚、なかなか抜けなくなってきてます。。。でも日本では怖くて運転できない。。とおもう。いまだに日本で運転したことないもんね~~~。

さて、 友の話だが、初日に7時間運転してすぐに前回出会った避難所:雄勝斎場に向かったとか。
前回はUNからわけてもらったお米や味噌、しょうゆ、お菓子などたくさん持って出かけ、すごく喜んでもらったらしいが、今回はそのとき聞いた話から、「炊飯器」を用意してもって行ったようだ。
プロパンバスがあり、それでどうにか生活ができていたということで、今度お米が入ったことでガスの炊飯器があればもっといいと聞いて買って行ったらしい。念のため、電気炊飯器も持って行ったが、なんと到着した前の日に電気がようやく来たこともあり、この電気炊飯器は大変喜ばれたとのこと。よかった、よかった。気が利くじゃん~~~。

雄勝斎場避難所の様子、ここで8人の方が被災共同生活です。。。。

被災後2ヶ月にしてようやく電気が通った。なんとまあ、うれしいニュース! 
でもほんとこれまでの間、大変な2ヶ月間の毎日だったんだろうなあ、と思う。
電気に水がない生活、、、プロパンのみ。 ああ、、、どう考えても想像ができない。
1日でも早く、不便がなくなる生活になるように、そしてそれに対して何ができるか考える今日である。

Friday, May 13, 2011

英語版をはじめてみま~す。

今日3つ目のポスティング。昨日プロバイダーの調子が悪く書込みできず、まいったです。


ちょっと、、、なんか大学時代の英語クラスの悪夢がよみがえりそうである。が、これも必然なのであろう。 Brush up my English composition, and keep up and learn the Internet technology.です。

宮城行きの活動のために「支援のご協力願い」をアメリカ人の友人達にもだした。
そのときに、やはり支援金をいただくということは、報告もちゃんとしなければと思い、このブログと同じような英語版を作ってそこで報告しますと書いた。というか、書いてしまった。

覚悟を決めての “ I will let you know how our trip goes.  I just started my blog in English so that you can check out what is happening....”.と書き、書いた後も、mail send のボタンを押すまでに指が硬直。。。自分で笑ってしまった。

ただこんなときにいつも出てくるのが、天性のO型。
「ま~~、い~や~。どうにかなるでしょ。」 この一言発して、SEND 終了です。

被災地支援 『プロジェクト第2弾』 のお願い。宮城県へ行きます。

皆様、

今日は日本被災地支援「プロジェクト2弾」のお願いです。

「花パン」では皆さんから大きなご協力をいただいて、たくさんの下着を用意でき心から感謝しています。このプロジェクト以来、そのほかに何かできることはないかと被災地での様子を追っていました。先週は、親友が宮城の石巻市に入り1週間近くボランティアをしてきて実際の現地の状況を教えてくれました。
(その様子をちょっとですが「かしましのブログ」に書いたので皆さん読んでくださいね。いろいろがんばって来てくれましたよ!近くの仲間がこういった活動をしてくれるのはうれしい話ですね。www.kashimashiglobal.blogspot.com)

彼が作業の間に訪ねたところの1つに石巻市雄勝町というところがあり、そちらでお墓の横の休憩所(雄勝斎場避難所)で被災生活している方8人と会ったそうです。
雄勝町は、津波当初に被害が大きかったところとニュースでも出ていた地域で今も道路状況がよくないため、ボランティアやNPO団体も入りにくく支援物資も十分には届かないとか。そういう状況の小さい避難所、また自宅避難の方が多いようで担当の行政も細かいところまで把握できていない現状で、彼が行って始めてお米、味噌が届いたようです。

ということで、「かしましグローバル」としてこの小さい避難所から少しでもサポートができればと思い計画をし始めたところ、避難所の方々や周囲の自宅避難の方々に必要物資を届けることができればと考え、このたび同志3人で5月21日から1週間ほど宮城の石巻市そして雄勝町地区へボランティアに行くことにしました。(今日から友は再度石巻へ泥かき作業と情報収集へ出かけていきました。)

ここで皆さんにお願いです。

被災生活されている皆さんに支援物資を調達するために、できるだけ現地入りしているボランティア団体・行政に協力をお願いしながら活動するつもりですが、今わかっているところではその協力もままならないようです。ですので、私達でできるだけのところで物資を調達したいと思っています。日々変わるニーズに合わせて物資調達するため資金のほうが活動しやすいと思われ、この資金を増やすため今回は皆さんから支援金をお願いし一緒にご協力いただければ大変うれしく思います。金額はおいくらでもうれしく大切に使わせていただきます。

地域により支援・援助に差が出てきていることがわかってきている中、1人の方でも少しでも不便が少ない生活ができるようなサポート活動ができればと思っています。

ご協力いただける場合は、この度「かしましグローバル」として口座を設定しましたので、銀行で振込みいただけます。

支援金振込先 かしましグローバル
三菱東京UFJ 銀行 西葛西支店 631
普通口座 0129649

ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

運転の距離と時間、アメリカ VS 日本

友がまた被災地支援に石巻に出かけていった。5月10日から週末まで、、という話だ。

東京からは車で6~7時間位かかるといっていたと思ったな。
ここでは私の仕事での長距離運転の頻繁度には定評(?)があるが、さすがに1人で7時間の片道はない。 あ、でもラスベガスまで運転していったことあるんだ、私。あれは6時間だったような。。。(目の前にネオンとスロットマシーンがかざされると長い運転時間の感覚がなくなるのかしらん。へへ)

アメリカでの運転と日本では、時間的では比較にならないところがある。
スピードリミット、制限速度が違うので、国内でもその人の制限速度により(ほんとは法律の制限速度によるんだけどね。あはは~)ぜーんぜん距離の感覚がちがう。

東京から石巻までってどのくらいの距離なんだろう。。。。
なので、距離を見ることにして、早速グーグルマップ。

東京の住所から石巻市まで: 
東北自動車道だと 267マイル  常磐自動車道だと245マイル(約400キロ)
この距離を6時間から7時間か、、、

私のこの田舎町からロサンゼルスのダウンタウン: 185マイル(約300キロ)
この距離をトラフィック(渋滞)なしで3時間。

やっぱり違いますね~、スピードリミット。
距離的には私の感覚からは、そんなには遠くないような。。(田舎にいると距離感覚が鈍ります。「どこに行くのも遠くて当たり前」的に考えるので。都会の人にはこれ、わからんらしい。)

日本って、高速は最高速度で100キロだったかしら??
ちょっと換算しますね、、、、100キロ=、、62マイル! あ、遅いや。。。

アメリカのフリーウエイは、うちのほうは制限が65マイルだけど、みんな(=私)70マイルから75マイル。 換算結果→ 70マイル=113キロ   75マイル=121キロです。

あれ、、もしかしてグーグルって、自動的にその国の制限速度を考慮して計算しているような気がする。。。これほんとだったらすご~~い!!

グーグル地図でしらべると、サテライト図も見れる、家にとまっている車も見れるってすごいけど、この制限速度までデータベースに入っているとしたら、他どんな情報が入っているのだろう。。。って思いませんか?

Tuesday, May 10, 2011

支援団体としてウエブに名前が、、! ちょっと気恥ずかしい。。ぽっ。

先週、再度AAR・難民を助ける会からお礼状が届きました。
「花パン」発送第1便、第2便をお送りしたNGO法人です。

今回は再度のお礼と、「ご協力いただいた企業・団体様のお名前をウエブサイトにご紹介いたしました」との連絡でした。

えっ?もしかしてかしましの名前もあるってことだよねぇ。。。とそわそわとウエブサイトをクリック。  http://www.aarjapan.gr.jp/supporter/2011/0502_636.html ← クリックしてね。

あるじゃないですかぁ~~~「かしましグローバル」! なんか気恥ずかしいような、、でもうれしいね。同封されていた会報誌にも同じように記載されていました。

気がつきました、皆さん?
『資生堂』、『虎屋』、『ゴールドマン・サックス』などの大きな会社名と一緒に「かしましグローバル」が並んでいるのですよ。 えへへ。

これも皆さんからのたくさんのご協力の賜物です。皆さんと一緒にプロジェクトを進めていけたことを心から誇りに思います。また次のプロジェクトにむけて、がんばろ~~!!




Sunday, May 8, 2011

おお~~ 立派な煮干!

私の出身は富山である。 
富山は、田んぼも海もあり、米も魚もおいしいく、そんなおいしいものを普通に食べて育った自分はほんとにラッキーなのだと思う。
米はうちで作ったもの、魚はそこらへんで取れたものがさかなやに並んでいた。その上父方の叔父が漁師だったこともあり、「魚とりにこい。」の一言でその日の朝に取れた魚(もちろん生ね)を食べていた。

魚の話のなかで、私にとって一生忘れないだろう話がある。
うちのほうで(富山と言っても広いのでこれが違うところで通じるのかは不明。)で「ニンズル」と言われる魚がある。叔父からよくもらってきていた1つだと思うのだけれど、これ、白身の魚だった。
実家では、味噌汁の具としてよく使っていたような気がするのだけれど(よく覚えていない)、かなりおいしい魚で魚にはうるさい父親も好きだったように覚えている。
名前からはどう考えても野暮ったいしおいしそうには聞こえないが、私も好きだったのは確か。

ある日、妹が学校から帰ってきて、多分中学校かなんかのときかな。。「ニンズル」が台所においてあって2人で見ていた。 
妹:「これさ、ニンズルってさ、、、舌平目なんだってよ。 舌平目ってお料理本に出てきてフランス料理かなんかで高級な魚っぽくない? これ、うちじゃあ普通なんだけどな。。。」
私:「えぇ~~~~~~~! うっそ~~ これ、したびらめぇ~~~??」
妹:「そう」
私:「これを普通に食べている私達、お嬢様?」 
妹:「ムニエルが、ここでは味噌汁か、煮魚よ。」 で大笑い。

そう、富山では名前の違うさかながあるようで。。。。こんがらかるな~、もう。

何がいいたいかというと、今回の被災地支援関係で利用させてもらった南三陸からのわかめ、昆布、海苔を見ながら 田舎のこと、「キトキト(富山弁:新鮮な、いきのいい)」海産物のことを思い出したわけである。

先日南三陸のわかめ、昆布、海苔のオーダーをして、妹がわかめ入りシチューを作ったことを書いたが、また妹のリクエストで煮干をオーダーしてみた。かつお節が欲しかったのだが、この「かね久」さんではかつおぶしを削る機械が津波に流されたため、かつお節が出せない。でも煮干はあるということを聞き、早速煮干をオーダすることに。「これからしばらくは、かつおだしから、昆布・煮干だしにシフトするわ」と妹。

ゴールデンウィーク中に煮干が届いたらしく、妹からの知らせのメールは。。。
「超立派な煮干さんです(*☻-☻*) 
煮干も昆布も、良い品物なのに、とってもお安いのにビックリさぁ~」 もちろん写真つき。

昆布、煮干ダシがお好きな方、ぜひここ南三陸の「かね久」さんのご利用どうぞ!!

「かね久海産」
宮城県南三陸町志津川字沼田150−74
電話・ファックス 0226−46−3339


富山で夕飯作っていたときには必ずダシにつかった煮干をおもいだした。懐かしいなあ。ここ何十年煮干さんの姿を拝見することがなかった私、これからちょっと「ほんだし」の便利さから離れて煮干にもどろうかしらとおもったのだった。

おまけ:  もう1つ、さとえのさかなの話。
私が最初東京のスーパーで驚いたことは、 さかなのパックに「生」というシールがはってあったこと。「生以外に何があるのか、焼き魚はお惣菜の方にあるはずだし、、、、東京の人はさかな見て生かどうかわからないのかな、そんなことないと思うけど、、」 困惑をしながら横に来た従業員さんにきいた。「この生ってどういうことですか?」 「あ、生のままここまできてるのよ~。冷凍してないの。だから新鮮!」  「え??? 魚って冷凍するの、なんで?。。。。。」 

ところ変れば、常識変る。です。

Saturday, May 7, 2011

もう1つ石巻から報告

石巻市雄勝町。
地震直後に被害がおおきかった場所としてよくニュースで聞いていた地域がここ。

ドラム缶風呂プロジェクトの後に、ボランティア仲間から聞いたとかで、週の初めにこの雄勝町に行った友。「ドラム缶がうまくいって、今違うところに向かってる、オガツ。雄勝。」と言う言葉に、「聞いたような町だな、、、」と思いながらすぐグーグル検索しました。

「うわ、ここ行くだけでもあぶないような。。。」 雄勝町はリアス式海岸の入り組んだ小さな入り江にある町。
少し心配した。ボランティアがほとんど入っていなくて、物資もあまり届いていないところらしいので、ちょっと様子を見てくるといっていたが、この時点で物資が入っていないのは、道路状況が悪いのが大きな理由と考えられるし。。。 うーん。

送られてきた写真を見て、やっぱり。道が洪水状態。最初は川が崩壊して道の上を通っているのだと思っていたのだけれど、話してびっくり。なんと地盤沈下で海がそこまで来ているという。
おいおい、、、ってことは回りは海、、ですか?




いろいろニュースを見ていて、地盤沈下のことも聞いていても、こうして現場から話を聞くのとはやはり違うのですよね。私の頭の中での想像が、ぜんぜんついていっていないや。

この雄勝町で、そこには8人の大人の方が被災生活をしている小さな避難所を訪ねてきたそうです。子供達は親戚の方々などのところに避難させているとか。ここは「雄勝斎場避難所」と呼ばれているらしいのですが、場所は「お墓の横にあるちいさな休憩所みたいなところだよ」と言う友。

先ほど書いた用に道路状況が悪いので、行く人も限られ、物資や支援の手がほとんどまだの状態だそう。友が物資を積んで行ったのでよかったのですが、それまではそのお米や味噌も届いていなかったとか。。。。電気も、もちろん水もまだ。物資もまだまだ十分でなく、プロパンガスが頼りの生活。単発で炊き出しが数回行われたようですが、テレビ、ニュースから聞くのとは違う現状がまだまだあるということです。

物資が余っている、送る必要はない、、、 そんなニュースがむなしく聞こえてきます。

行政、団体、個人。いろんなところでしがらみはあるのですが、出会った人から1人づつ、私達ができるだけの支援を提供するのが今のベストなのではないでしょうか。

Wednesday, May 4, 2011

南三陸産の海苔、わかめが届いた

「花パン」プロジェクトからつたってできたご縁で知りあった南三陸町の海産物やさんからゴールデンウィーク入ってすぐに、商品が届いていました。ちがうちがう、カルフォルニアではないですよ。送ったのは東京の私の日本倉庫。(ははは、、、妹宅です。迷惑かけますぅ m(_ _)m )

「海苔、とどいたよ」とメールがあってすぐにスカイプ。どんな商品だかみてみたいじゃない? 海苔オーダーしたから。とは伝えてあったけれど、出し昆布、塩蔵わかめもオーダーしたことは知らなかった妹は、中身を見ながら、『国産のわかめはありがたいのよね~、今東京じゃあスーパーではなかなかでてないから。南三陸産のはいいんだよね~。やっぱ国産よ。』 だそうです。

あら?! タイミングとしては絶好で、喜んでいただけたということですね?! 私はスーパーの現状はまったくしらなかたったので「へーえ、そうか。そうだよなあ、しばらく海産物の新しい生産は止まってしまうんだモンな。。。」としみじみいろんなところで影響がでていることを再確認。品質や味に関しては、わかめ好きの彼女がそう言うのだから間違いないだろう。

「おまけで塩蔵昆布もついてるよ。これ食べていいの?」 もう何でも食べてちょうだいな。注文はいつでもいくつでもできるでよ~~~。

次の日の朝、彼女からのメールです。

「鮭と野菜とわかめのシチュー、それから昆布、揚げ切干し大根の煮物だよ(^_-)-☆」
写真つき

あらま~、ごちそう!おいしそ。 ん?? シチューにわかめ? 初めてきいた。
でも鮭とはすごく合いそうだな。カブもいいチョイスでないの。
(注: 妹いわく、わかめは結構ホワイトソースにあうそうな。)

そのあとすぐに来たメールがね、
「うお!おまけの塩こんぶ、うまーいっ (((o(*゜▽゜*)o))) 」 でした。

おいしいそうです、昆布にわかめ、そして焼き海苔。みなさん、どうぞ、おためしあれ!

「かね久海産」
宮城県南三陸町志津川字沼田150−74
電話・ファックス 0226−46−3339
≪焼き海苔 、塩蔵わかめ、塩蔵昆布、出し昆布、早煮昆布、煮干、などなど≫

被災生活の中がんばる皆さんのビジネス、お店、応援していきたいですね!

Tuesday, May 3, 2011

ドラム缶風呂か、、、

『ドラム缶風呂』は、アウトドアか、キャンプかでの野外生活、、、って言うのが今までのイメージだったのですが、実際に今回の被災地での利用になるというのが、やはり究極の事態になっているんだなと感じることしきり。

花パン大作戦からつたってできたご縁から、南三陸町で被災生活をしている方々を知りました。この方々は、南三陸町志津川で海産物やさんを営業していて、地震の当日倉庫のある少し離れた高台に避難でき、今被災生活しておいでとのこと。家も、お店も津波でさらわれてしまった。。。。

そちらの倉庫に海産物の在庫があるということで、焼き海苔や昆布を購入させてもらいました。(南三陸産のわかめ、昆布って国産では有名なんですってね。私が知らなかっただけなのだけれど、わかめは肉厚でおいしいそうな。) 同じものをスーパーで買うのであれば、こういった被災地でビジネスしていていた人たちのすこしで援助になればと思うのですよね。

「今まで何度か津波で、逃げたことはあるけれど、こういった被害になるなんて誰も思っていなかった。倉庫も無事で、命が助かっただけいいと感謝してがんばるしかないから。。」と電話で話す奥さんの声には、私には強い生きる力と忍耐力の中にも疲れが感じられる気がしました。

お話しする中で、すでに50日がすぎているのに「まだ水道が通っていないので、 山に行って川で水を汲みに行ってます。、お風呂もまだなくて。。ちょっと遠いんだけど、温泉に2、3回行ったかな、、、」との言葉に、ほんとうに大変な状況下での生活になっているんだと思い心が痛みました。がんばってください、とは言いたいけれど、現状を知らない私がいっても空っぽに聞こえるような気がしていえなかったです。

この日の夜、石巻でボランティアしている友が、作業が終わったから自衛隊が設置しているお風呂に行くんだと聞いて、やっぱり町の辺りとは違って水もないからお風呂もまだないところもあるんだってと話していた。

次の日、ヤツから電話があって「いま水の配給に来ているトラックにきいたら、必要なところにもっていけるよ」と。そこから話がすすみ、もしかしてお風呂の可能性もでてきました。ただ倉庫だからお風呂ないわけで、、、、と考えていたときに、「ドラム缶風呂みたいなのができればね。。」と。「じゃあドラム缶探してみるわ。」 
うーん、、、ドラム缶、どこかに流れてきてないかなあ。。。なんて思ったのは私だけ?

そして朗報!「ドラム缶見つかったよ。ボランティアの間で話していたら、おっ、うちにあるよ。とすぐ見つかった。須藤元気さんたちの支援活動団体が、現地にドラム缶風呂を!ともってきていたものがここにある。石巻ではすぐに自衛隊によってお風呂が設置されたので、ドラム缶が不要になって、めぐみジャパンで保管していたらしい。」 
http://www.genki-tohoku.com/ 須藤元気さんの支援活動プロジェクト Team We Are All Oneサイト (ブログもあります。そこに今回のドラム缶への感謝を書いておきました!)
http://www.crnavi.jp/sudogenki/blog/diary/

すばらしいですね~! またしても「引き寄せの法則」でしょう。全てがうまく回ります。

それぞれの支援団体・グループが連携しているというのが彼の話しの中からよくわかります。みんなが助け合い、協力体制になっているというのかな。聞いていてもうれしい。


ドラム缶を実際に見て、高齢者も多いのでちょっと入るときに無理があるかもと心配したようでしたが、あちらにお話を持っていったら、「これはいい。お湯だけでもたくさんわかせるようにもなるし。」と喜んでいただけたようです。

翌日、日本で3日の早朝にトラックで石巻までドラム缶を受け渡し、、そしてそのあと南三陸の皆さんのところでドラム缶風呂設置準備するから。といっていました。

その当日昼過ぎにはドラム缶風呂設置完了、「すごくうまくいった」と連絡が入って、ほっと一安心。

石巻市から南三陸町までは車で一時間弱。 自分の乗用車で支援物資もたくさん積んで(タイヤつぶれないかと私のほうが心配する)数回往復し、多くの団体や人達とコンタクトをとりながらこのドラム缶風呂プロジェクトを完了した友を大変誇りに思います。 
よくやった~~~~。 You are the man !!

Monday, May 2, 2011

ボランティア活動に行っている友

私の友(ビジネスパートナーでもある)が、先週からボランティアで石巻市にはいっている。
県外からのボランティアの受け入れをしている数少ない市だったらしく、石巻市に決めたらしい。
http://msv3151.c-bosai.jp/group.php?gid=10163 石巻市災害ボランティアセンターサイト

彼がちょうど仕事でアメリカにいたときに地震が起こったので、日本に帰るときに「もう少し現場とか落ち着いたらボランティアの話もでてくるだろうし」と話しながらてテントや寝袋を買って帰っていった。私も「しばらくしたらボランティアに帰るから」といいながら見送った。


今まではインターネットやテレビのニュースが震災情報で、毎日ある程度のニュースは読んでいたのでなんとなく現状をわかっていたつもりでもいたんだが、実際現地にいる彼から聞く状況は、やはりニュースでは伝わってこない臨場感というかな、、、確かな現実感を感じる。

テント、水、食料持参で石巻専修大学の校庭(?)でテント生活。
たくさんボランティアが駆けつけているといっていたので、どれくらいのテントがあるの?との質問に答えて来た写真がこれ。 テント、テント、テント。。。である。

むかーしむかし、ガールスカウトにいた時に見たテント村みたいなのを思い出した。
アメリカの夏になると、ビーチ沿いのキャンプ場がテントでいっぱいになるが、それをはるかに超えている。これだけの人がきて瓦礫撤退などの手伝いに来ているというのを思うと、何だがすごくうれしくなった。

町の様子は、こんなである。。オンラインニュースで見た写真と同様なんだけれど、自分の友が撮ってきたとなると、受取る感じがこんなにも違うのかと自分で驚いたくらい、感情的にみてしまった。ヤツがその場にいるわけで。。。


1日目は「泥かきと畳出し」と報告が来た。
基本的に5人のグループになって、依頼のあった住民の方の家にお手伝いに入るということらしい。1日の作業で結構キレイになったよといっていた。そのおむかえの家は、関東地域に被災したらしくどなたもいないようで、あのままにしていると家がどんどん傷んじゃうよなあと心配していた。
でもその家の方からの依頼がないことには何もできないとのこと。そうだよね、、、お家の中に入っていくって言うことだものね。瓦礫を動かすのは、道だけじゃないんだよね、、、家の中にも瓦礫や泥が流されてきているんだ。。。。

ゴールデンウィークに入り、多くのボランティアの人たちが入って作業をしているらしい。
みんなが何かしたいと思っているのは同じ。 できる人がやる。できることをやる。
それで1日1日、1人づつどなたかの助けになればいいのだと思う。

私の分もがんばってくれ~~。 I am so proud of you, and all of you.