Sunday, June 12, 2011

英語: 気がついたこと ①

カルフォルニアに帰ってきてもう2週間くらいになるのか。。。

行ったりきたりしていると、そんなに頻繁でなくても、「あれ?今どこにいるんだっけ?」と思うことがある。この感覚って面白い。一緒にいる友達が英語、日本語の両方話すとなると、特にわからなくなってくることがある。


ある言語を話すということは、その文化を知るということ。

外国語を習うとよくこんなことを聞くが、実際に外国語を使いその国に住むとほんとにそうだと思うことが多い。言語にその文化が反映される。そりゃ当たり前だよね、毎日の生活で使うのが言葉なんだから。

今日ハタ思ったことがある。
What's up with all names used in American English??

アメリカでは、台風に名前がつくと知ったときにはひっくり返るくらい驚いた。
日本は、1号、2号で名前なんてつかない。面白いな~~~とは思ったけれど、台風なんて天災なのに、何でまるで愛称のように名前がつくのかアメリカ人の感覚がよくわからなかった。いや、今でもよくわからん。

○ 下着の「股引」のことを long john(s)
○ トイレのことを john
○ コーヒーを joe
○ 台風を Katalina, etc.
(台風は1号が A で始まり、アルファベット順につけられる。いくつかこの名前セットがあるって聞いたような。だから毎年違う名前になる。)

不思議でしかたがない。

日本語で言うとすると、、、
「今日寒くてさ~、長い太郎さんはいてきちゃったよ。」
「ヒロシ行ってきた、今。あーすっきり。」 「いや~、このマコト、おいしーねー。」
「現在、ユウコ台風が東京湾沖にきております。。。皆様ご注意ください。」

どう考えても、ぜったい変。。。

グーグルで検索してみると、台風以外はどうも発明者とかそれを使った人とかという説が多いよう。
新しいものを呼ぶのに、名前のほうが呼びやすかったのか、それともそれをそれを作った人、使った人の貢献を認めようというものなのか、、、不思議だ。。

台風はというと、、、ここもおもしろい。最初はみんな女の人の名前だったらしい。
(女の人はこわい、、ということなのか??)
それが、男女の名前を混ぜる、また女に戻る、また男女混ぜる、、とくり返した歴史がある。
そして2000年以降は、新しくアジア系のなまえもはいり、そして特に男女人名だけではなく、花、動物の名前も加わったとか。
ご参考まで: http://www.aoml.noaa.gov/hrd/tcfaq/B1.html  面白いよ。

Sunday, June 5, 2011

石巻トリップ 最後に

皆さんからご協力いただいてたくさんの物資を届けることができました。

= 今回支援物資お届けしたところ = 
① 雄勝町荒地区の皆さん
② 柳津虚空蔵尊さんを通して、南三陸や雄勝の避難所生活の方々、および自宅被災生活の方々

= お届けした支援物資 =
① 皆さんから届いたバスタオル、タオル、タオルケット、寝具  (車1台分山積み)
② 皆さんから届いた衣服(新品およびリサイクル)、エプロン、日用品 (こちらも車1台山積み)
③ タンクトップ35枚、下着150枚ほど、靴下、ベビー下着
④ 長靴 40足
⑤ 避難所用発泡スチロールどんぶり100枚
⑥ 豆腐、牛乳、ハム、ソーセージなどの食品類
⑦ サンダル 50足(6月4日付で発送しました。)

皆さんからたくさんの支援とご協力いただいたからこそ、上記の物資を届けることができました。皆さんも私達と一緒にボランティア活動してきたのとおなじですからね~~。
本当にありがとうございます。心から感謝しています。


5月21日から27日までの一週間、たくさんの方々にお会いしました。

荒のお姉さん達、柳津虚空蔵尊のお嫁さん、南三陸のかね久さん、ボランティアで一緒に仕事した皆さん、すばらしい 出会いばかりでした。またいろいろな経験もできました。自衛隊風呂、泥かき、粉塵マスクつけて安全靴はいて一夜漬け(?)土方もどき。全てが楽しく充実 した毎日でした。

石巻市を始めたくさんの町で、まだまだボランティアが必要です。できるだけ1人でも多くの人に現場に行っていただければなあと思います。

1 人でもいけます。数人お友達ともいけます。1日参加のボランティアツアーもあります。平日でも、休日でも、物見遊山気分でも現地に行くことお勧めします。 現地でお買い物することで、経済的な援助もできます。自分の目で現地を見ることで何か得るものがあり、またもしお手伝いできるのであれば、1日だけでもお手伝いすることで助かる方々が大勢います。

今回はこうして仲間と一緒に3人で活動できたことは本当にラッキーでした。わいわい、がやがや、ぶーぶー、ぎゃーぎゃーいいながら、楽しみながらの1週間。まるでサマーキャンプ。そんなボランティア参加の形もありですよね?!

もちろん、現地入りのボランティアだけでなく、いろんな形の支援があります。自分ができるはなんだろう? 長期にわたる復興作業、これからも皆さんと一緒に支援の道をかんがえて行くことができれば本当にうれしく思います。

皆様、これからもよろしくお願いします。

石巻にて写真集③ 毎日の暮らしぶり?

自活で滞在ということで、テント・自炊生活はなんだかアウトドア活動を楽しんできた感じでもあります。

この非常時に「楽しむ」という言葉をつかうのには、私自身すこし抵抗があるのですが、今回ボランティアとして働きながら、心痛い、苦しい、大変な思いだけを皆さんに伝えるのでは、ボランティアに行く人々が続かないような気がするので、敢えて、楽しめたこともお知らせしますね。

出発の朝、サービスエリアで待ち合わせ
 


O型とAB型の違い(右奥:すでに寝袋がたたんであるのがわかります?)

静電気、、、

同志が仙台のお友達からいただいた牛タンを分けてくれました!!

牛タンやいて、豪華な夕飯です。おいしかった~~~

お仕事に行ったお宅で友がいただいてきた水羊羹。

ボランティア仲間がくれた「サバイバル チョコチップパン」 いけるわ、これ。

同志のボランティア仲間のテント

上記のテントででた夕飯の1つ、さつま揚げ。これ、おいしかっただろうな~。
 
すぐ横の山に登ると、石巻市が360度見渡せます。

テント村で出会ったハーレー君のバイク。偶然にも同志の実家から3分ほどのところに住んでいるって!
消防団は朝から焼肉だよ。。。。さすがだ。

いろんな方がボランティアに参加。ピエロさんは学校周りをしているそうです。
荒のお姉さん達と一緒に。

柳津虚空蔵尊にて

南三陸、「かね久」海産さんの倉庫にて

この上の写真だけ見ると、まるでサマーキャンプでしょう?!
   

石巻にて写真集② 町の様子

- 南三陸町 5月22日撮影  -

給水の自衛隊トラックが回っていました。

給水のタンクがみえます。







残っていた堤防の上から町を見おろすと。。(右の車は私達のです。)


壊滅状態といわれた南三陸町です。 多分、重機で全てをキレイにするしかないのでしょうか。。。
この撮影日から早、2週間が経ちます。少しでも作業が進んでいることを願っています。

石巻にて写真集① 町の様子

ブログを書きながら写真もアップしていきましたが、まだお見せしていない写真が多いので、ここでまとめてみたいと思います。

まずは、私達が支援物資を運ぶ途中に通った、また泥かき作業で取った被災現場から。

- 雄勝町周辺 5月21日撮影 -  写真は全てクリックすると大きいサイズで見ることができます。






船をあげて、漁再開のために修理するんだと聞きました。。。



この写真は自衛隊などがすでに大きな瓦礫を取り除いた場所です。

Friday, June 3, 2011

5月27日 最後の仕事

今日が石巻最後の日。

朝のうちにテントを崩し、旅立ちの用意を始めました。
雄勝町の荒に再度支援物資、食料を運んで、そのあと、東京に向かいます。

テントを崩して、荷物をまとめたり、そして支援物資を搬入していたりしてすでに11時くらいになってしまいました。まあ、帰りも何でこんなに荷物が残ってるの、、、というくらい自分達のギアでなんだか車がいっぱいよ。あ、そうか、来るとき2台だったんだもんね。それにしても、、おかしい。。

テント1つ、たたみました。

立つ鳥、跡を濁さずまでもうちょっと。
どんどん出てくるギア、まだあるのよね。。

詰める、詰める、、これ、全部はいんの??

荷物に埋もれる同志。これで荒まで移動です。
お昼ころはちょうど河川敷を通っていたので、「おし!ここで昼ごはん、カレーにしよう」と決定。車をちょっと横に停めて、ささっと出てきたカセットコンロ。ご飯を炊き、それが終わったらレトルトカレーをやかんに突っ込む。いや~おいしいご飯って言うのは、以外に簡単にできるモンです。。。

最初の案はこれ、でも風が強すぎて、、→

まずご飯。






次、カレー。

さあ、どうだ~~~。

ランチを食べて満足しながら、荒の「憩いの家」に向かいました。
こちらもお昼ご飯が終わった後のようで、片付けをしていらした様子。

「もう1度、支援物資の食料品もって来ましたよ~」と声をかけると、お姉さん達が集まってきてくれました。

前回のリクエストのとおり、バナナ、豆腐、牛乳、ハム、ソーセージ、梅干はもちろん、ラッキーだったのが、オレンジ、小松菜ももらえたこと。ジュースも手に入ったし、その上、きゅうりのお漬物、大豆煮そして焼き栗、オイルも。栄養のバランスを考えて、たんぱく質類が多めです。支援物資倉庫からいただいたものと、そして皆さんからご協力いただいた支援金からこれらの食品を購入することができました。皆さん、ありがとうございます!



この日通行止めになっていた道が開通していて、おかげで買い物ができる町に出て行くことはできるようになったけれど、仕事への復帰のめどがまったく立たず、収入が途切れたまま。「出かけていけても、買えないですよ。」と厳しい現状を話しておいででした。

「前回いただいた衣服は、あのあとすぐにみんなで集まって、わいわいと分けたのですよ。あっという間でした。本当にうれしかったです。」とお言葉いただきましたよ。ここで気がついたのは、お手製の更衣室。ほら、よくできてますね。洋服分けたときにこれ、つくったのかな。。。 


私達がいたのは、石巻市という1つの地区でした。地震、津波の被害は数えられないくらいもっとたくさんの町、市に及んでいます。
これらの地域にいる人達、また外に出て行った方も含めて、これからのことを考えると、不安を感じない人はいないと思うんです。家を失った人、仕事を失った人、家族を失った人、できるだけ早く今までの生活、仕事を再開できるようなサポートが、県、市などから出てくることを願いつつ、私達に何かできるのか、できるとしたらどんなことだろうか、と頭を動かすことしきり。

私達に出来ることは何でしょう? 皆さんも一緒に考えてきましょうよ。よい案があったらおしえてください! お願いします。

現場いろいろ

3人別作業で、いろいろな現場を見てきた形になりました。

作業したお宅に、オーナーさんの代理で来ていた方自身も、毎日避難所で生活している被災した20代の男性。今までの仕事がなくなったので、パートで1日の仕事を探したり、お友達の家の掃除を手伝ったりしているとか。お年寄りだと外に出ることもしないから、じっとしている人も多いのだけれど、周りの人が気にかけながら、話相手になってあげたりして、皆でお互いの世話をしている感じになってるそう。たたみ2畳分くらいのスペースが自分の分で、みんなが生活している。何もすることがない日も多く、体育館にいても仕方ないので、パチンコや、、、と思ったりするけれど、パチンコやだとお金がなくなってしまう可能性が。。。 今までに2度ほどお酒を買ってきて体育館の後ろでお友達とちょっと酒盛りしたとか。それをすごくうれしそうに話す彼を見て、彼らがどうやったら普通のことが普通にできる生活に戻るのだろうと考えてしまった。
これからどうするの?と聞いたら、彼と母親の家は全壊状態なので、家を壊す作業が終われば、一応一段階となるが、それがいつになるのか、、まだわからないそう。それまでは石巻にいるけれど、その後どうするか、他の県にでもいくかもな~と話す彼でした。

アパートの掃除に行って、中に入っている泥、ごみ、そして家具を移動させる。作業自体はそうでもなかったのだけれど、精神的にちょっときつかったなと話す友。そちらのアパートの方が亡くなっていていて、その家族の方と一緒に掃除をしていたらしい。掃除の途中で、写真が出てきて、家族がそれを見ながら一言出てくる言葉を聞いていると、やはりつらいですね。。

家の前にある倉庫の掃除。いろんなものが入っている中、どうも異様なにおいがしていたとか。みんな言わないけれど、いやな予感がしていたらしい。その日で終わらず、次の日「継続」として出かけていった同志であったが、帰ってきて「よかったよ~~~、イカだったの、イカ!!」と喜びの報告。イカの冷凍詰めみたいな袋だったらしい。そうか、そうか、さかながいっぱい出てくるとは聞いていたけれど、イカだったのね~~~。ほんとよかったわ。

1軒1軒、そして一人ひとりの方々に体験したお話があります。

一生懸命そのときのことを話してくださって、大変なことだったんだな、大変な経験されてるんだなあと、聞きながら本当に心痛くなります。そしてそんな中、清掃、復旧作業を続ける人たちをみて「人間って強いなあ」とこの石巻での1週間でひしひしと思いました。

その強さを応援したいから、何かの形で少しづつでも元気を分けてあげられたらと願うのです。

5月26日 肉体労働最終日と

明日東京に帰るので、今日が肉体労働ボランティアの最終日としました。

4日間だけの肉体労働では、なんだか惜しい気がします。名残惜しいです。だから最後もがんばってきます!

いままでの中で一番石巻港に近い地域での作業でした。こちらのお宅は周りの家が9割以上壊滅しているような感じで、ここだけ4軒くらいの家が建っている感じです。もちろん1階は2メートル近い浸水で床をはがして床下の泥かきをしないといけないのですが、この日は、外の庭と側溝の泥かきです。

今日の私のお仕事メンバーは10人。男8人と女2人です。

いろんな方々にお会いできました。今回は、舞台の大道具設定やサンや、写真の照明プロもいました。秋田から毎週通う(土日に自宅で休み、週中に石巻でボランティア)60代のお父さんや、横浜から自転車で10日かけてきた団塊の世代サイクリスト、趣味だといってましたが、すごいとおもいません? またテント前に小松菜のポット植をおいていた神戸からきた女性は、翻訳の仕事をしていらして、週に2日は仙台でホテルに入りお仕事しながら、ボランティアを続けていました。皆さん、ガッツあります!!

お昼休みには、違う場所でボランティアしてきた方が「こちらの石巻はセミプロみたいなボランティアの方が多いですね。驚きました。」と話はじめて、みんなで大笑い。そういわれればそうかも。。。石巻市では他のボランティアセンターと比べて、ヘビーな泥かき、瓦礫除去の作業が主な活動となっているので、それをわかって皆さん来るのか、仕事経験が土木、建築関連が多いのかもしれません。
セミプロか。。。この言葉が頭から離れなくなってしまいました。

そのセミプロ達が側溝の泥をどんどんかいて、土嚢袋につめていきます。
私はというと、庭のごみ堀りをしていました。ここは製紙工場がすぐ近くにあって、そこから流れ出た紙が泥とごみに混じってぐっちゃぐちゃ。その上割れたガラスや陶器もまざって、これが自分の家だったら、ほんと泣きたくなってあたりまえだわ。。。と思いながらの1日でした。

ボランティアに行くとね、そのおうちの方が飲み物を出してくださったりするのです。ボランティアは自分達でお昼と水や飲み物はもっていっているのですが、それを承知で出してくださる。「こんなことしかできなくて本当に申し訳ないです。ありがとうございます。」といわれるほうが申し訳ない。

「こんなことでしかお手伝いできないので、がんばらせていただきます。」と思いながらの毎日でした。

5月25日 本格的に、泥かき一筋。

肉体労働ボランティア3日目。

前日の懸命な「砂利かき」のおかげで、爆睡して気持ちよく起床!身体のほうはというと、ちょっと腰が硬いような気もするけれど、筋肉回復サプリ「スポーツ」のおかげで、ま~ったく 痛みがない!! すごいよ、、、これないとこの一週間結構きつい結果になりそうだったわ。ビタミンや疲労回復サプリもいつものようにたべているので、なんだか好調、好調。

同志、友とも話して3人同意したのが(注意!! この3人が同意にいたるのは本当に珍しい。AB型が2人、O型1人、それぞれが強い意志と意見を持っている。うるさいくらい。) ここに来てテント生活と肉体労働を続けながらも、身体の調子が大変良い。老体に鞭打って、朝起きる、、、という状態から程遠いほど調子がよい。すがすがしい、気持ちのよい朝を毎日迎えている。これはどう考えても、身体のリズムがそうできているとしか考えられない。朝早起きし、肉体労働で身体を動かし、ご飯がおいしい。そして9時くらいには寝る。「早寝、早起き=絶好調!」ということです。

夜遅くまでたらたらコンピューターとかしてちゃいけない、、、ってことですね。いくら仕事といってもほどほどにし、それだったら朝早くおきて、労働時間を動かすように考えないといけないですね。石巻から帰ったら、生活リズム考えなおそうっと。  (ん?あれ、今何時ですか? 夜12時すぎてるよ。。。。)

25日のお仕事は、、、男5人と私の6人グループ。前日と同じお宅で「継続」して庭の瓦礫撤去と泥かきでした。

今回の仕事仲間のご紹介です。
●九州から車で石巻までいらした60過ぎの男性、
●静岡から大学を休学してきて3ヶ月ほどの滞在を予定している男子、
●兵庫県佐用町から来た男性お二人は2年前の洪水被害のときにボランティアにお世話になって助かったから、今回は自分達がボランティアをと石巻いり(このお二人、一人は何でも自分で作ってしまう(機会や建物も)焼き鳥屋さん、もう一人は建築土木関連のプロだったので、まあ仕事が速いこと、、、)
●そして友と私の6人。

庭の低くなっているところにヘドロとごみがたまっている感じ。瓦礫は前日にだいぶ動かしたようでそのおうちの敷地内はきれいになっていました。スコップでがんがん掘っていく泥、ヘドロ。また農協からでも流れ出てきたのでしょうか、飼料や肥料の袋がたくさん流れ着いていてそのにおいもすごいのですが、水が入って重い、重い。私は土嚢袋もち係に徹底しました。

このお宅では2階で今生活しているとか。周りには、壊滅状態の家が多く、この場合はそのまま重機が入って建物を壊すようで瓦礫もごみも手付かずになっているようです。 このような環境で毎日生活するのは、精神的に大変だと思います。毎日この様子を目にするわけですから..... こんなのですよ、、、お隣が。

奥さんとおばあちゃんとで2人で毎日外で片付けをしているのだけれど、2人だと3時間やってもはかどったようにはぜんぜん見えない。だから先が見えなく思えて、どんどんつらくなってくる。そんなときにボランティアが5人、10人と来てくれると1日ですごくきれいになる、進歩した結果が見えて、元気が出てくるそうです。

ボランティアの力は絶対に必要だと思います。住んでいる人だけでは到底できない復興作業だと思います。1日でも、日帰りでもいいから、1人でも多くのボランティアの人が現地入りして支援することを願います。 今できなくても、来月、または夏休みのときでもいい。休みが取れるとき、それがあなたのボランティアができるタイミングだと思います。

本当に長い道のりになる復興作業だと思います。毎月1日または1度でもいい、被災現地のことを考え何かする(募金する?物資を送る?ボランティアに行く?)、行動する。持続してできることは何か、できること一人ひとり考えて長く支援できるようにしましょうよ。

Thursday, June 2, 2011

5月24日 肉体労働、極める。思わず「チオビタ」

朝は毎日5時起きって感じ。外が明るくなるので自然に目が覚める。

チュンチュン鳥がさえずっていたりするので、気持ちよく起きることが多かったです。ただし、中には5時前から「おはようございます!」って起きてる人に声かける人もいて、「うるせ~~、まだ寝てんだよ、こっちは!」と、べらんめいになりかけることも何度か。

6時すぎると朝食とお弁当用のご飯の用意を始めます。まずはコーヒー用のお湯を沸かして、その次にご飯を炊きはじめます。今のテント生活、楽ね~~。カセットコンロでカチッとやればもう何でもできちゃう。

おにぎり作ってます。横は朝食の春雨スープ。

ハイ、ランチのお弁当出来上がり~。自家製パリパリおにぎりよん!

この日、肉体労働、あ、すみません、ボランティア活動でした、、2日目。
またしても別行動にした3人でしたが、いや~私のこの日は、死ぬかと思った1日でした。

先にこの日のことをお知らせしましたが、泥かきなんだけど、やっていることは「砂利だし」作業。土の上に大きな砂利を引いて「暖房作用」があるようにしてあった床下だったので、その砂利の上に泥がのかってしまっているから、砂利も掘り出さないと泥がでない。60代の男性2人と、女2人「ああ、きのう一緒に働いた30代、40代の男がこの日こそ欲しかった。どこだ~、若い男は~~~。」うまくいかないものね、人生って。

最初は10分くらいは楽しくお話しながらの作業も、どんどん静かになり、4人で沈黙、黙々と汗を流しながらの砂利だし作業となりました。土嚢袋に砂利をつめ、これを外に出すのも一苦労。重いんだよ、この土嚢袋がまた! よいっしょ。よいっしょ。 中腰になりながら床下から砂利をすくい、土嚢袋につめる。床梁が細かくかかっていたので、これがまたつらいところで。。。そしてその床梁をつたいながら、砂利をつめた土嚢袋を家の外に出す。これの繰り返しですね。

腰の曲がったおばあちゃんが、曲がったままで歩いているっているのが、よくわかりました。一度曲がったら、固まってしまって、戻すのたいへんなんだ。戻そうとすると、なんだか、ぼきぼき~~~っていいそうで、、、ちょっとづつ、腰を伸ばしてまっすぐにしようとしないといけない。

それでもよくやったと思う。朝9時半にお宅に到着、休憩を取りながらですが、午後の2時ごろにめどがついてきた感じ。2時半には家の方に来ていただいて最終確認。「皆さん、本当にありがとうございました。ボランティアの方々がいて本当に助かります。」と暖かいお言葉をいただいて帰途につきました。

家(あ、、テントね。)に帰る途中で、同志から携帯メール。「今日はキャンパスでボランティア用の炊き出しがあるらしい。九州ラーメンだよ。3時から。」 こうやって、ボランティア同士で情報交換がなされるわけです。帰ってきたらちゃんと九州ラーメンのテントが張ってあって、「どうですか~、食べていってくださいね~」とボランティアの車が通るたびに声をかけてくださっている。あー、おいしそうだわ。

一輪車、スコップ、ほうきなど借りた道具を洗ってきれいにして返却し、すぐ炊き出しラーメンカウンターへ。

作りたてのラーメンは本当においしかった。スープも最高にうまい。とんこつベースの味噌ラーメン「あ~ボランティアやってよかったなあ。」となんだか意味がよくわからないことをくちばしる私。その日一緒に作業したボランティア仲間と「よくがんばったね~」と話しながら青空の下で食べるラーメンは最高!
ちょっとアートな感じの「らーめん」。

その後テントにいたらすぐに同志も帰ってきた。彼女もすぐに九州ラーメンをもらってきてテントの中で食す。その横でわたしは、、、、、思わず「チオビタ」よ。だってさ~つかれてんのよね~。


そして 腰痛、筋肉痛予防と回復のためサプリ「SPORT スポーツ」を8個一気飲み。
これだけ飲めば、明日は一応起きれるだろう。。。